MCI(軽度認知障害)とは? ~“物忘れ”との線引き~
MCIは、「加齢による物忘れ(正常老化)」と「認知症(たとえばアルツハイマー病など)」の中間にある認知機能低下の状態を指す概念です。
すなわち、日常生活では大きな支障をきたさないものの、記憶力や注意・判断力などに軽度の低下があり、本人・家族が「物忘れが多くなったのでは?」と気づく段階です。
認知症外来を受診される方のなかには、まず「物忘れ外来」や「認知症予防外来」でMCIが疑われ、精密検査を経て診断されることも少なくありません。
原因・発症メカニズム
MCIの原因は単一ではなく、多因子・複合要因的です。主な因子とそのメカニズムを以下に示します。
因子 | 解説・裏付け文献 |
---|---|
アルツハイマー病前段階 | 脳内でアミロイドβやタウ蛋白が蓄積し、シナプス機能障害やニューロン傷害をきたす経路。 |
脳血管性変化 | 微小な梗塞や血管性障害により脳血流障害が起こり、認知機能低下を促す。 |
酸化ストレス / 炎症 | 神経細胞レベルで酸化ストレスや慢性炎症が進行し、神経変性を促す。たとえば、スペインの臨床試験では、MCI患者に EGb 761(イチョウ葉エキス) を投与し炎症マーカーや酸化ストレス指標を測定する研究が行われています(EGb 761群と対照群で血中マーカー変化を比較する試験) Nature |
代謝疾患・生活習慣病 | 高血圧、糖尿病、高脂血症などが間接的に脳血管障害や微小循環障害を通じて認知機能に悪影響を与える。 |
精神・睡眠因子 | うつ病、睡眠時無呼吸症候群、不眠などが認知機能にマイナス影響を及ぼし、可逆的なMCI類似像をつくることもあります。 |
また、最近の研究では、過剰な神経興奮性(神経活動亢進) がMCI → 認知症への進行に関与する可能性が注目されており、てんかん治療薬レベルの微量投与を試す研究もあります(後述)。例として、HOPE4MCI試験では、低用量のレベチラセタム(拡張放出型)をMCI患者に投与し、神経過剰興奮を抑制することで臨床効果を探る試みが行われましたが、プラセボ群との差は統計学的有意差なしという結果でした。 PubMed+1
これらの因子が複合的に作用して、MCIを発症・進展させると考えられています。
症状(“物忘れ”が現れる段階)
MCIの症状は、日常生活には大きな支障をきたさず、自覚的にも軽度の「物忘れ」「うっかり」「忘れっぽさ」などが中心です。典型例を以下に挙げます:
記憶障害
最近会った人の名前を思い出せない、会話内容や直前の出来事を忘れやすい注意・集中力低下
話の途中に注意が逸れる、読み物や会話内容の理解が散漫になる判断力・実行機能低下
買い物や金銭管理、スケジュール調整などで迷いやすくなる言語・語想起低下
適切な語彙が出ない、言いよどむ、言葉を探す時間が増加空間認知・見当識の軽度低下
通い慣れた道に迷うことが増える、物を置いた場所を忘れる
ただし、日常自立性(衣食住・移動・入浴など)には顕著な障害がないことがMCIの診断要件になっており、この点が「認知症」段階との違いになります。
予後・改善率・進行率(文献データベースより)
MCIの予後には大きなばらつきがあり、以下のような経過が考えられます:
認知症への進行
安定(MCI状態維持)
正常型への回復(リバーサル)
以下、文献ベースの数字を示します。
進行率(MCI → 認知症)
Salemmeらによるシステマティックレビューでは、臨床ベースの研究で平均5.2年追跡したところ、MCIから認知症への転化率は 41.5 %(95 %CI: 38.3–44.7 %)、母集団(健常者ベース)研究では 27.0 %(22.0–32.0 %) とされました。 PMC
神経学誌 “Progression to Dementia or Reversion to Normal Cognition” によれば、母集団研究では MCI の 28.9 %、臨床試験ベースでは 33.6 % がアルツハイマー型認知症への進行をみたという報告もあります。 神経学会
ある長期追跡研究(Öksüzら)では、追跡期間中にMCI → 臨床的認知症に進行した割合が 92.8 % と報告され、年次進行率は 15.7 % としています。 MDPI
一方、JAMA Neurology の報告では、コミュニティベース研究での年次進行率は 4~15 % 程度とされ、クリニックを母体とする研究では 12~17 % 程度とする報告があります。 JAMA Network
→ まとめると、MCI から認知症への進行率は、研究デザイン・対象集団により幅がありますが、年率で 5~15 % 程度という見方が多く、臨床外来やリスク高集団ではより高めに出る傾向があります。
安定率・リバーサル(改善率)
Salemmeらのレビューによれば、臨床ベースでは安定率(MCIのまま推移)約 49.3 %、母集団研究で約 49.8 %、リバーサル(正常型への回復)は臨床で約 8.7 %、母集団研究で約 28.2 % と報告されています。 PMC
Buntinxらの研究では、24人のMCI患者のうち 8人(33 %)が1〜2年後に改善したという報告があります。 PMC
最近の BMC Medicine 論文では、2年時点の MCI の**リバーサル率が 18.17 %**であったとの報告もあります。また、リバーサルした群は、AD 認知症への進行リスクが安定 MCI 群に比べて 89.6 % 低いハザード比(HR = 0.104) であったと述べています。 BioMed Central
→ つまり、MCIのうち 1~2割前後で改善(正常化)する可能性があり、それは予後良好な傾向を示唆します。
これらの数字を前提に、「認知症外来」でMCIを扱う際には、「進行可能性」だけでなく「回復可能性」を前向きに捉えた対応が必要です。
治療・介入戦略と治療薬
現在、MCI に対して「この薬を投与すれば確実に改善する」という標準治療薬は確立されていませんが、以下のような介入が研究・実践されています。
薬物療法(予防的/試験的使用)
認知症治療薬(コリン作動薬、NMDA拮抗薬など)
MCI 高リスク例やアルツハイマー型進展リスク例に対し、ドネペジル、ガランタミン、リバスチグミン、メマンチンなどを試験的に使うことがありますが、保険適用は認知症診断後が原則です。神経過剰興奮抑制薬
前述の HOPE4MCI 試験では、拡張放出型レベチラセタム(低用量)を投与することで、MCI患者の神経興奮性を抑え、進行抑制を図る試みが行われましたが、プラセボ群との差異は統計学的有意差を示しませんでした。 PubMed+1イチョウ葉エキス(EGb 761)
炎症・酸化ストレス経路を標的とした補助的療法として、EGb 761 を MCI 患者に投与し、血中マーカーや認知検査スコアの改善を検討する試験が実施されています。 Nature多因子介入併用試験
生活習慣・栄養・運動・ストレス管理を統合した介入が MCI や早期認知症に及ぼす影響を検討した RCT が報告されており、20 週間の集中生活改善介入で認知・機能改善を認めたとの結果が示されています(詳細下記)。 BioMed Central補助的技術介入
認知リハビリテーション、脳トレ、非侵襲的脳刺激法(例:経頭蓋直流電流刺激:tDCS)などと組み合わせた試みもあります。たとえば、うつ病併存例や MCI 症例に対して、認知補助訓練+tDCS で認知低下を抑制したという報告もあります。 PubMed
ただし、これらは「効果が確定した標準治療」ではなく、すべての患者に適応可能とは言えません。治験段階・補助的使用が中心です。
非薬物介入・ライフスタイル介入
薬物以外の介入が、MCI 対策としてもっとも現実的かつ安全性も高いアプローチです。
多領域ライフスタイル介入
2024年報告の RCT では、食事(植物中心、低加工食)、運動、ストレス管理、グループサポートなどを含む集中型介入を 20 週間行ったところ、MCI/早期アルツハイマー病例において認知・機能改善を認めたと報告されています。 BioMed Central認知トレーニング・脳トレ
パズル、計算、記憶訓練、認知リハビリテーションなどを定期的に行うことで認知機能の維持・改善が期待されます。認知症外来では、こうした訓練プログラムを処方することが一般的です。運動療法
有酸素運動、筋力トレーニング、バランス運動などを定期的に行うことで脳血流改善・神経可塑性促進が期待されます。食事・栄養改善
地中海食、DASH 食、抗酸化栄養素、オメガ-3 脂肪酸、抗炎症栄養素などを意識したバランス食への改変が推奨されます。社会参加・知的活動維持
趣味、読書、ボランティア、交流活動などで脳を使い続けることが認知予防に寄与します。睡眠・ストレス管理
良好な睡眠習慣の確立、睡眠時無呼吸症候群への対応、ストレス緩和法(呼吸法・瞑想など)も重要です。
これら非薬物介入は安全性が高く、複数のリスク要因に同時に働きかけられる点が利点です。
生活指導・日常ケアにおけるポイント(“認知症外来”で指導すべき内容)
認知症外来を訪れる方・ご家族に対して、MCI の段階で日常的に取り組める指導を以下のように整理できます。
1. 継続的なフォローと早期発見体制
定期的に認知機能検査(MMSE, MoCA, 認知神経心理検査など)を実施
MRI/脳画像、血液検査、アミロイド・タウバイオマーカーなどを考慮
進行兆候(認知・行動変化、日常機能低下など)を早期にキャッチ
2. リスク因子管理・生活習慣改善指導
高血圧・糖尿病・脂質異常症の適切な管理
禁煙・適度な飲酒制限
質の良い睡眠・規則正しい生活リズム
バランスの良い食事(塩分・飽和脂肪の制限、野菜・魚・ナッツ中心)
運動習慣(有酸素運動、筋力運動、柔軟運動、週 3 回以上)
ストレスケア・精神衛生(趣味、社交、リラクゼーション法導入)
3. 認知刺激・知的活動維持
読書、学び直し、楽器、言語習得、将棋・パズルなど
ボランティア活動や地域参加で社会的接触を維持
認知トレーニング・脳トレソフトやICT(アプリ)活用も補助的に導入
4. 環境整備・安全対策
忘れ物防止の工夫(メモ、リマインダー、スケジュール表利用)
道に迷わないようなルート表示、地図持参
家庭内での転倒予防、段差除去、手すり設置
見守り支援(家族・ケアギバーとの連携強化)
5. 家族・支援者教育と心理支援
家族に MCI の意味・進行可能性・改善可能性を説明
ケアストレス・介護負担の軽減支援
必要時、心理カウンセリング・地域サポート制度の紹介
まとめ
MCI(軽度認知障害)は、認知症への移行を防ぐために最も注目されるべき段階です。原因はアルツハイマー病や脳血管障害、生活習慣病、うつ病、睡眠障害など多岐にわたり、症状は記憶障害や判断力低下が中心です。予後は人によって異なり、進行する方もいれば改善する方もいます。現時点では確立された治療薬はありませんが、生活習慣の見直しや適切な医療介入によって改善率を高めることが可能です。物忘れが気になる場合は早めに認知症外来に受診して下さい。
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